百人一首の詠み人の一覧

百人一首に記されている名前と、歴史の教科書などで見かける名前が一致しないことがあるので、
詠み人を調べるときの参考になれば。
百人一首で記されている名前 名前 備考
天智天皇 中大兄皇子  
持統天皇   天智天皇皇女
柿本人丸    
山部赤人    
猿丸太夫    
中納言家持 大伴家持  
安倍仲麿 阿部仲麻呂 「阿部仲麻呂」表記のほうが正しい
喜撰法師   六歌仙の一人
小野小町   六歌仙の一人
蝉丸    
参議篁 小野篁  
僧正遍照   俗名:良岑宗貞。六歌仙の一人
陽成院    
河原左大臣 源融 六条河原の院に住んでいたため
光孝天皇    
中納言行平 在原行平 在原業平の兄
在原業平朝臣 在原業平 在原行平の弟。六歌仙の一人。伊勢物語の主人公のモデルとされる。
藤原敏行朝臣 藤原敏行  
伊勢   藤原継蔭の娘。宇多天皇の中宮に仕えた
元良親王   陽成天皇の皇子
素性法師   僧正遍照の子
文屋康秀   六歌仙の一人
大江千里    
菅家 菅原道真  
三条右大臣 藤原定方 屋敷が三条にあったため
貞信公 藤原忠平 諡号である
中納言兼輔 藤原兼輔  
源宗于朝臣 源宗于  
凡河内躬恒   古今集の撰者
壬生忠岑   古今集の撰者
坂上是則   坂上田村麻呂の四代の孫と伝わる
春道列樹    
紀友則   古今集の撰者。紀貫之の従兄
藤原興風    
紀貫之   古今集の撰者。古今集仮名序や土佐日記の著者
清原深養父   清原元輔の祖父、清少納言の曽祖父
文屋朝康   文屋康秀の子
右近   父が右近衛少将だったため
参議等 源等  
平兼盛    
壬生忠見   壬生忠岑の子
清原元輔   清原深養父の孫、清少納言の父
権中納言敦忠 藤原敦忠  
中納言朝忠 藤原朝忠  
謙徳公 藤原伊尹 貞信公の孫。諡号である
曾禰好忠    
恵慶法師    
源重之    
大中臣能宣   伊勢大輔の祖父。
藤原義孝   謙徳公の子
藤原実方朝臣 藤原実方  
藤原道信朝臣 藤原道信  
右大将道綱母   藤原道綱の母。蜻蛉日記の作者
儀同三司母   名は貴子。子の藤原伊周が儀同三司と呼ばれたため。中宮定子の母でもある
大納言藤原公任   和漢朗詠集などの撰者
和泉式部    
紫式部   源氏物語の作者。大弐三位の母
大弐三位   紫式部の娘。夫が太宰大弐であったことと自身の三位であったことから
赤染衛門   大江匡衡の妻。
小式部内侍   和泉式部の娘。母和泉式部にちなみ小式部とよばれていたため
伊勢大輔   大中臣能宣の孫
清少納言   清原元輔の娘。枕草子の作者
左京大夫道雅 藤原道雅 儀同三司母の孫
権中納言定頼 藤原定頼 藤原公任の子
相模   夫が相模守だったため
大僧正行尊    
周防内侍   父が周防守だったため
三条院    
能因法師    
良暹法師    
大納言経信 源経信  
祐子内親王家紀伊   祐子内親王に仕え、父か夫が紀伊守だったためと考えられる
前中納言匡房 大江匡房  
源俊頼朝臣 源俊頼 源経信の孫
藤原基俊    
法性寺入道前関白太政大臣 藤原忠通  
崇徳院    
源兼昌    
左京大夫顕輔 藤原顕輔  
待賢門院堀川   崇徳院の母待賢門院に仕えていたため
後徳大寺左大臣 藤原実定 藤原定家の従兄弟
道因法師   俗名:藤原敦頼
皇太后宮大夫俊成 藤原俊成 藤原定家の父
藤原清輔朝臣 藤原清輔 藤原顕輔の子
俊恵法師   源経信の孫
西行法師   俗名:佐藤義清
寂蓮法師   俗名:藤原定長。藤原定家の従兄
皇嘉門院別当   崇徳院の皇后皇嘉門院に仕えたことから
式子内親王    
殷富門院大輔   後白河天皇の皇女殷富門院に仕えたことから
後京極摂政太政大臣 九条良経  
二条院讃岐   二条天皇の女房として仕えたことから
鎌倉右大臣 源実朝 鎌倉幕府第三代将軍。右大臣まで昇官していた
参議雅経 藤原雅経  
前大僧正慈円 慈円 藤原忠通の子。愚管抄の著者
入道前太政大臣 藤原公経  
権中納言定家 藤原定家  
従二位家隆 藤原家隆  
後鳥羽院    
順徳院    

→小倉百人一首の一覧

参考
白洲正子「私の百人一首」 新潮文庫