竜学 -南総里見八犬伝より-

以下、結城城を脱出した里見義実主従が、安房国へ落ち延びる途中、三浦の矢取の入江に着くも、船が無く往生している所に雷雨に遭い、その時に白竜が南へ行くのを見て、義実が従者堀内貞行に語ったもの。所謂「竜学」である。


「さればこそその事なれ。われはその尾と足のみ見たり。全身を見ざりしこと、憾むべく惜むべし。夫(それ)、竜は神物(かみもつ)なり。変化固(もと)より彊(きわまり)なし。古人いへることあり。竜は立夏の節を俟ちて、分界して雨を行(やる)。これを名(なづ)けて分竜(ぶんりう)といふ。今は則その時なり。夫(それ)、竜の霊たるや、昭々(せう/\)として近く顕れ、隠々として深く潜む。竜は誠に鱗虫(うろくづ)の長なり。かゝる故に、周公易を繋ぐとき、竜を聖人に比(たくらべ)たり。しかりといへども、竜は欲あり、聖人の無欲に及(しか)ず。こゝをもて、人或はこれを豢(かひ)、或は御(のり)、あるひは屠る。今はその術伝るものなし。又仏説に竜王経あり。大凡(おほよそ)雨を祷るもの、必まづこれを誦。又法華経の提婆品(だいばぼん)に、八歳の竜女、成仏の説あり。善巧方便なりといふとも、祷りて験(しるし)を得るものあり。この故に、竜を名づけて雨工(うこう)といふ。亦これを雨師といふ。その形状(かたち)を弁ずるときは、角は鹿に似て、頭(かうべ)は駝(うま)に似たり。眼(まなこ)は鬼に似て、項は蛇に似たり。腹は蜃(みづち)に似て、鱗は魚(うを)に似たり。その爪は鷹の似(ごと)く、掌(たなそこ)は虎の似く、その耳は牛に似たり。これを三停九似といふ。又その含珠(たま)は頷(ほう)にあり。司聴(きく)ときは角を以(もって)す。喉(のんど)の下、長径尺(わたりいっしゃく)、こゝを逆鱗と名づけたり。雄竜(をたつ)の鳴(なく)ときは、上に風ふき、雌竜(めたつ)の鳴ときは、下に風ふく。その声竹筒(ふえ)のごとく、その吟ずるとき、金鉢(こがねのはち)を戞(する)が如し。彼は敢(あえて)衆(つれだち)行かず、又群(むらがり)処(をる)ことなし。合(がっ)するときは体(たい)をなし、散するときは章をなす。雲気に乗じ、陰陽に養れ、或は明(あきらか)に、或は幽(かすか)なり。大(おほき)なるときは宇宙に徜徉し、小(ちひさ)なるときは、拳石(けんせき)の中(うち)にも隠る。春分には天に登り、秋分には淵に入(い)り、夏を迎(むかふ)れば、雲を凌(しのぎ)て鱗を奮ふ。これその時を楽(たのしむ)なり。冬としなれば泥に淪(しづ)み、潜(ひそまり)蟠(わだかまつ)て敢(あへて)出(いで)ず。これその害を避(さく)るなり。竜は尤(すぐれて)種類多し。飛竜あり、応竜あり、蛟竜(こうりやう)あり、先竜あり、黄竜あり、青竜あり、赤竜あり、白竜あり、元竜あり、黒竜あり。白竜物を吐(はく)ときは、地に入(いり)て金(こがね)となり、紫竜涎を垂るゝときは、その色透(とほり)て玉の如し。紫稍花は竜の精なり。蛮貊(ばんはく)鬻(ひさひ)で薬に入る。鱗あるは蛟竜(みづち)なり。翼あるは応竜なり。角あるをキン(草冠に黽)竜といひ、又虯竜(きうりやう)ともこれをいふ。角なきをダ(偏に多と旁に它)竜といひ、又これを螭竜(りりやう)といふ。又蒼竜は七宿なり。班竜は九色(くしき)なり。目(めに)百里の外(ほか)を見る。これを名(なづ)けて驪竜(りりやう)といひ、優楽自在なるものを福竜と名けたり。自在を得ざるは薄福竜、害をなすはこれを悪竜、人を殺すは毒竜なり。又苦(くるしみ)て雨を行(やる)、是(これ)則(すなはち)垂竜(すいりやう)なり。又病竜(やむたつ)のふらせし雨は、その水必(かならず)腥(なまぐさ)し。いまだ、升天(せうてん)せざるもの、易に所謂蟠竜(はんりやう)なり。蟠竜は長(たけ)四丈、その色青黒(あをくろう)して、赤(あかき)帯(よこすぢ)錦(にしきの)文(あや)の如し。火竜(くわりやう)は高(たかさ)七尺あり。その色は真紅にして、火焔炬(たきび)を聚(あつむ)る如し。又痴竜(ちりやう)あり。懶竜(だりやう)あり、竜の性(さが)は淫(いん)にして、交(まじはら)ざる所なし。牛と交れば、麒麟を生み、豕(ゐのこ)に合へば象を生み、馬と交れば竜馬を生む。又九ッの子を生む説あり。第一子(だいいちのこ)を蒲牢(ほろう)といふ。鳴(なく)ことを好むものなり。鐘の竜頭はこれを象る。第二子(だいにのこ)を囚牛(しうぎう)といふ。音(なりもの)を好むものなり。琴鼓の飾にこれを付(つく)。第三子(だいさんのこ)を蚩物(せんぶつ)といふ。呑(のむ)ことを好むものなり。杯盞飲器(はいさんいんき)に、これを画(ゑが)く。第四子(だいよんのこ)を嘲風(ちょうふう)といふ。険(けはしき)を好むものなり。堂塔楼閣の瓦、これを象る。第五子(だいごのこ)をコウ(目偏に亙)眦(せい)といふ。殺(ころす)ことを好むものなり。大刀(たち)の飾にこれを付。第六子(だいろくのこ)を負屭(ふき)といふ。これは文(ふみ)を好むとなん。いにしへの竜篆(りうてん)、印材の杻(つまみ)、文章星(せい)の下に画く、飛竜の如き、みな是なり。第七子(だいしちのこ)を狴犴といふ。訟(うつたへ)を好むものなり。第八子(だいはちのこ)を狻猊(しゆんげい)といふ。狻猊は乃(すなはち)獅子なり。坐することを好むものとぞ。倚子(いす)曲彔(きょくろく)に象ることあり。第九子は覇下(はか)といふ。重(おもき)を負(おふ)を好ものなり。鼎(かなへ)の足、火炉(ひばち)の下(あし)、凡(およそ)物の枕とするもの、鬼面のごときは則(すなはち)これなり。これらの外(ほか)に又子あり。憲章(けんせう)は囚(とらはれ)を好み、饕餮(こうてつ)は水を好み、蟋蜴(しつとう)は腥(なまぐさき)を好み、バン(虫偏に蠻)セン(虫偏に全)が風雨を好み、螭虎(りこ)は文(あやの)采(いろどり)を好み、金猊(きんげい)は烟(けふり)を好み、椒図(しゅくと)は口を閉(とず)るを好み、トウ(虫偏に刀)蛥(せつ)は険(けはしき)に立(たつ)を好み、鰲魚(ごうぎよ)は火を好み、金吾(きんぎよ)は睡(ねぶら)ざるものとぞ。皆これ竜の種類なり。大(おほい)なるかな竜の徳、易にとつては乾道(けんのみち)なり。物にとつては神聖(ひじり)なり。その種類の多きこと、人に上智と下愚とあり、天子匹夫の如くなるか。竜は威徳をもて、百獣(もゝのけもの)を伏するものなり。天子も亦威徳をもて、百宦(ひやくくはん)を率(ひきゐ)給ふ。故に天子に袞竜(こんりやう)の御衣(ぎよゐ)あり。天子のおん顔を、竜顔と称(たゝへ)、又おん形体(かたち)を竜体(りうたい)と唱(となへ)、怒らせ給ふを逆鱗といふ。みな是竜に象るなり。その徳枚挙(かぞえあぐ)べからず。今や白竜南に去(さる)。白きは源氏の服色なり。南は則(すなはち)房総(あはかづさ)、々々(あはかづさ)は皇国(みくに)の尽処(はて)なり。われその尾を見て頭(かうべ)を見ず、僅(はづか)に彼地(かのち)を領せんのみ。汝は竜の股を見たり。是わが股肱の臣たるべし。さは思はずや。」

括弧をとっぱらったもの

メモ
・周公…周公旦。姫旦。文王の第四子。武王の弟。殷周易姓革命が舞台の封神演義にも名が見えるが、彼の本番は周建国後である
・竜王経…海竜王経
・八歳の竜女、成仏の説
・逆鱗…ことわざにもなっている故事に詳しい。
・九ッの子…竜生九子のこと。諸説ありそちらも解説している
・白きは源氏の…源氏の旗印が白旗である。八幡太郎義家ももちろん使っており、里見義実はその子孫

竜の種類
・飛竜(ひりゅう)
・応竜(おうりゅう) 竜の中でも翼があるもの
・蛟竜(こうりやう) 
・先竜(せんりゅう)
・黄竜(こうりゅう)
・青竜(せいりゅう)
・赤竜(しゃくりゅう)
・白竜(はくりゅう) 物を吐と、それが大地に入って金となる
・元竜(げんりゅう)
・黒竜(こくりゅう)
・紫竜(しりゅう) 透き通った玉のような涎を垂らす

・蛟竜(みづち) 鱗が無い竜
・キン(草冠に黽)竜・虯竜(きょうりゅう) 角を持つ竜
・ダ(偏に多と旁に它)竜・螭竜(りりゅう) 角が無い竜

・蒼竜(そうりゅう) 七宿
・班竜(はんりゅう) 九色(くしき)
・驪竜(りりゅう) 百里の外を見渡せる目を持つ
・福竜(ふくりゅう) 優楽自在に操るりゅう
・薄福竜(はくふくりゅう) 福竜ほど自在に操れない
・悪竜(あくりゅう 害をなす竜
・毒竜(どくりゅう) 人を殺す竜
・垂竜(すいりゅう) 苦しんで雨を降らせる
・病竜(やむたつ) この竜が降らせる雨水は必ず生臭い
・蟠竜(はんりゅう) 昇天していない竜。長さ四丈、その色が青黒く、赤い横筋が入り錦のようである

・火竜(かりゅう) 高さ七尺。色は真紅。火焔炬(たきび)を聚(あつむ)る如し。
・痴竜(ちりゅう)
・懶竜(だりゅう)

竜の子
・麒麟(きりん) 竜と牛の間に生まれたもの
・象(ぞう) 竜と豚の間に生まれたもの
・竜馬(りゅうめ) 竜と馬の間に生まれたもの

以下、竜生九子にあたる
・蒲牢(ほろう) 鳴く事を好む。鐘の竜頭はこれを象っている
・囚牛(しゅうぎゅう) 楽器を好む。琴や鼓の飾に用いられる
・蚩物(せんぶつ) 酒を飲むことを好む。飲食の器に描かれるの
・嘲風(ちょうふう) 険しいところを好む。堂塔楼閣の瓦のモチーフとなる
・コウ(目偏に亙)眦(せい) 殺すことを好む。太刀の飾りに描かれる
・負屭(ふき) 文章を好む。竜篆(りうてん)、印材のつまみ、文章星(せい)の下に画いてある、飛竜のようなものはこれである
・狴犴(ひかん) 訴訟を好む
・狻猊(しゅんげい) 獅子のこと。座ることを好み、椅子などに飾りに用いられる
・覇下(はか) 重いものを背負うことを好む。鼎や火鉢の足といったところにある鬼面のようなものはこれである

別の竜の子たち
・憲章(けんしょう) 囚われることを好む
・饕餮(こうてつ) 水を好む
・蟋蜴(しつとう) 生臭いものを好む
・バン(虫偏に蠻)セン(虫偏に全) 風雨を好む
・螭虎(りこ) 色鮮やかさを好む
・金猊(きんげい) 煙を好む
・椒図(しゅくと) 黙っていることを好む
・トウ(虫偏に刀)蛥(せつ) 険しい場所に立つことを好む
・鰲魚(ごうぎょ) 火を好む
・金吾(きんぎょ) 眠ることがない

参考
「南総里見八犬伝(一)」曲亭馬琴:作 小池籐五郎:校訂 岩波文庫